2013年7月21日日曜日

臼田昭『ピープス氏の秘められた日記 ー17世紀イギリス紳士の生活ー』

時は17世紀。クロムウェル共和制が終わりチャールズ2世の王政復古が始まったイギリス。海軍省で働く一人の役人が、日常生活と当時の世相について実に克明な日記を綴っていた。当時の社会風俗世相を知る上で欠かすことの出来ない第一級の史料として非常に有名な本であるが、邦訳で全部で10巻。一巻だけでも数千円以上の価格が付いておりちょっと手が出にくい。この本〔掲題〕はこの膨大な日記を要領よく時代別に整理し、解説を加えたもの。わかりやすくとてもオモシロイ。

日記と言えば、いくら秘密の日記と言えど、ある程度読者に読まれることを想定して書かれているのが普通。事実をねじ曲げないにしても、自分に都合の悪いことや恥ずかしいことは意識的に書かなかったりする。永井荷風の『断腸亭日乗』なんかはその最たるものだが、このピープス氏の日記はそういうことが全くない。なにせ全文暗号で書かれていたのだ。なぜ暗号だったのかというと、まず奥さんに知られてはとても困ること〔内容は想像が付きますね。彼はとても恐妻家だった〕が延々と書いてある。次に自分の仕事〔海軍省の資材調達)で公にされるととてもまずいことだ(役得がすごかったみたい。でも彼は細心の注意を払い帳簿のつじつまを合わせ、業者と口裏を合わせ、万全の手はずを整える〕。

最初の奥さんに知られるとまずいことは置いておいて〔彼のケースは現代の常識からするとちょっと桁外れにスゴイとは思うが、武士の情けじゃ〕、海軍省の公務関係の話がとても面白かった。当時のイギリスは貧乏国。そのくせオランダと戦争ばっかりして〔いつも負けて〕水兵に払う給料さえまともに払えないほどの財政事情だった。そのくせ王室は贅沢な生活を続け、宴会や賭け事なんかで大金を浪費する。議会は腹を立てて増税には一切協力しない。公務員のお給料も滞り、ピープス氏でなくともたいていの公務員は俸給外収入がないとやっていけない状態だったのである。高級公務員はたいてい貴族出身で、実務はまったく知らない無能ばかり。収賄だけが生き甲斐だったような連中が大部分だったようだ。

その中でピープス氏の有能ぶりは飛び抜けていたと思える。仕立て屋の息子でありながら大学に進み、成績優秀で海軍省に取り立てられ、だんだん出世。彼以外はみんなそうそうたる貴族で構成される資材調達担当委員会の下っ端となるが、他の連中の尻ぬぐいから全部、実質的な仕事は彼がやることになる。ピープス氏は女狂いの悪癖があるがとにかく仕事は出来たようだ。オランダにボロ負けした責任を海軍省に押しつけようとする「政治的な動き」にも、ピープス氏は単独で立ち向かい、3時間に及ぶ議会喚問証言を切り抜ける。〔ちなみにここで書かれている議会証言のコツは現代にも通じるものがある。議会には決して肝腎の事実を伝えない。雄弁に説得力ある証言をしなければならないが、肝腎のことは断固としてしゃべらない、というもの〕

ピープス氏はこの議会証言で国王にエラク褒められる〔それを自慢たらたら日記に書いている〕。最後は海軍大臣にまで出世したのだからえらいものである。こういう能力主義が、当時弱小国に過ぎなかったイギリスを世界の強国に育てていったのかも知れないと、妙に納得。

1665年のペスト大流行、1666年のロンドン大火を、実際に現場で経験した人物による詳細な記録としても、この日記は価値がある。


ピープス氏の秘められた日記――17世紀イギリス紳士の生活 (岩波新書 黄版 206)


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